携帯電話が鳴ったのは、ちょうど羽田の出発ロビーへ登るエスカレーターに乗った時だった。「もう、羽田に着いた?」さっき品川で別れた優里の声だ。「いま着いたとこだけど、どうしたの?」。「どうしても渡したいものがあったんだけど、出発までまだ時間ある?」少し焦って心配そうな優里の声が気になった。「うん、まだ、時間あるよ。私、何か忘れ物した?」。「そうじゃないけど…少し待てる?」そう言って優里は「次の電車に乗ってるからあと10分くらいでそこへ行くから」と。「じゃぁ、エスカレータ登ったところにある公衆電話のところで待ってるね」。「わかった!ありがとう、じゃあとで」。騒音の中で優里の電話は切れた」。それから、15分くらい後、優里がエスカレータを歩きながら登ってきた。「急いでいる時にごめんね。どうしても渡しておきたいものを思い出したから」そう言って小さな袋を差し出した。「これ、機内に入ったら開けてみて」と優里は私のコートのポケットにその袋を入れてくれた。「大したものではないけど、私の気持ちね」そう言って優里は出発ゲートへと、私の体をくるっと回し、そのままコートの背中を押した。歩きながら振り返ると、笑顔の優里が小さく手を振っていた。慌ただしく機内へ乗り込み、何とか手荷物のバッグを上の棚へ押し込んだ。いつも出発前の機内は慌ただしい。座席を探して座る人や、荷物を乗せるスペースを探す人が入り乱れ、乗客全員が着席するまでが、いつもざわざわしている。何となく飛び立つ緊張感が高まってくるのもこの頃だ。飛行機には何度も乗ってるけど、この雰囲気に慣れない自分がいる。夕刻の出発便はいつも混雑していて、滑走路へ向かう飛行機の行列がつながっているのが見えた。遠くに都心のビル街のシルエットが見えた頃、やっと飛行機が滑走路に到着。ひととき静まりかえっている機内がこれから空へと浮き上がる緊張感を呼び起こす。優里がくれたポケットの中の袋を思い出し、取り出してみた。小さな透明なポリ袋に入っていたのは香り袋だった。優里の自作だろうか。そっと袋の口を開け、鼻を近づけてみる。ポプリの香りだ。エンジン音が大きくなってきたと同時に遠くの景色が静かに動き出す。緊張を忘れるためにいつものように目を閉じ、ポプリの香りに集中した。ガタガタと機体は振動して走り出し、突然振動がとまりそして離陸。体がすーっと持ち上げられたような感覚。そのとき微かにポプリの中に私が好きなラベンダーの香りがした。「あ、アンの世界だ」心の中で、優里とさっきまで盛り上がった赤毛のアンの話題を思い出した。いつか一緒にカナダへ行こうと話したばかりだった。飛行機はゆっくりと高度を上げ、東京湾を離れていく。いつもと違う優里の優しさを乗せた離陸だった。優里、ありがとう。

このストーリーはフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。

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