久しぶりに旅行バッグを押し入れの奥から引っ張り出し、真央は身の回りのものをバッグの中に詰め始めた。ちょうどこの週末が空いていた。昼過ぎに羽田に着けば、夕方の福岡便に乗れるなと思いながら、バッグの中のポケットを開けた時、小さな紙切れが出てきた。このバッグを使ったのは5年くらい前の、やはり実家へ帰った時だったと思う。若い頃、真央には夢があった。生まれ育った福岡を離れ、一人で見知らぬ北国の地で生きてみたかった夢が。しかし大学に通う頃には、やはり仕事を探すなら関東だろうと、先輩の勧めもあり東京で一人暮らしを始めた。仕事は大変だったが、都会での暮らしは若かった真央には刺激があり、夢を実現したという満足感もあった。きちんと折り畳んだ紙切れを開いてみると、二つの日にちと時間、そして便名らしきものが書かれていた。自分の字のようだったが、とっさには思い出せない。バッグを広げたまま、しばらくその紙を見つめていたが、やはり何のためのメモかも思い出せなかった。11月15日16時31分、もう一つは同じ日の同じ時間だが最後が「30分?」と違っていた。きっとその時乗る時刻をメモしたものだろうと思ったが、次の瞬間、思わず「え!」と叫んでしまった。「まさか、これ今日じゃん!」すーっと冷たい空気を背中に感じた。時刻はまだ昼前だが、確かに今日の日付が書かれていた。偶然だとは思ったが、何か特別なものを感じた真央はすぐ実家の母へ電話した。「お母さん、きょう帰るけど、そっちの都合は大丈夫?」「今日の方が助かるよ。お父さんが今度入る施設は、週末の方が空いているって係の人が言っていたから…、この週末に帰ってきてくれればいいなと思っていたの」と母。真央は紙のことは言わないでなにげなく聞いてみた「今日あたりに帰るって、前に私、言ってた?」「いや〜言ってなかったと思うけど…」これ以上話しても電話が長くなるだけだと思い「わかった。夜には着けるから、待っててね」と約束して電話を切った。紙に書かれたメモが気にはなったが、時間がない。とりあえず残りの荷物をバッグに詰めて、家を出た。羽田に着いたのは午後2時頃だった。カウンターで空席のある福岡便を探す。最終便は混み合っていたが、少し前の便にはいくつか空席があった。窓側の座席指定も済ませて手荷物検査を通り、長い通路を歩いてターミナル端のゲート近くの席に座る。まだ時間はあった。福岡の父は腎臓が悪化して透析が欠かせない状態だった。それでも元気な父を受け入れてくれる施設がやっと見つかり、これから母の負担も軽くなるはずだ。そんなことを考えながら出発時刻のボードを確かめた。「16:31福岡」の表示が見えた。ふと隣のボードにも「16:30 …」。行き先は「札幌」と表示されている。二つの出発便が1分違いで表示されていた。忘れていたメモの数字だ。真央にはその二つのボードの文字が、まるで何かの糸でつながっているように見えた。慌ててポケットの紙を探す。「30分?」と書いてあるのは札幌行きだった。夕暮れからマジックアワーへと変わってゆく空へ、真央を乗せた機体がゆっくりと登ってゆく。窓の外に、先に離陸した機体を見つけたのはその時だ。小さくなってゆく飛行機が見えた。真央の飛行機は南へ。そしてもう一機は北へ向かって飛んでゆく。昔、描いた夢のように。

このストーリーはフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。

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