エンジンの音が少しずつ遠のいていき、やがて眠りを誘うBGMに変わる。涼子は微かな振動と機内の暖かさで眠っていた。兄の夢を見ていた。大学受験のとき、初めて飛行機に乗った涼子。受験のことで頭がいっぱいで、空港での慌ただしい手続きがあることなど、考えてもいなかった。あの時、兄がいなかったら、大切な便にも乗れなかったかも知れない。5歳上の兄は、まるで親のように、空港まで来てくれ何から何までやってくれた。東京の大学を受験したいと伝えた時も父親を説得してくれたのも兄だった。後から知ったことだが、父は反対はしていたが、それは涼子の東京での一人暮らしのことで、進学することではなかった。その大学に入学したら、兄も上京して一緒に住む条件で、涼子は進学できたのだ。その兄は結局、上京出来ないまま仕事帰りの途中、交通事故で亡くなった。春には珍しい吹雪の日だった。一周忌が過ぎ、母と二人で兄の部屋の片付けを泣きながらしたことを思い出す。遺品の中に大量のデッサン画が出てきた。兄が自分と同じ年頃に美術系の大学へ進みたかったのだとそのとき初めて知った。そして机の引き出しからは、一枚の東京の地図が出てきた。その地図には、マーカーの書き込みがあちこちにあり、それはもしかすると、涼子と一緒に住む場所を探したあとだったのかもと後で思った。涼子にとって兄の記憶は、自分を気にかけてくれる優しさという存在として残されていた。ベルト着用サインの音で目が覚めた。すっかり暗くなった外の景色を覗き込む。雪の降りしきる国道を走る車のライトが川のように流れていた。帰宅を急ぐ車の列だろうか。ふと先ほどの兄のことを思い出した。滑走路は国道をまたいだ先だ。着陸態勢に入った機体はさらに高度を下げる。国道を走る車の一台一台がはっきりと見えるくらい機体は降下していった。定刻より30分遅れで、涼子の乗った飛行機はターミナルへ着いた。アナウンスが「遅れましたことをお詫び申し上げます…」と告げていた。機内は急に慌ただしくなり、乗客が前の座席から順番に出口に向かってゆく。涼子も急いで立ち上がったとき、ショルダーバッグのポケットから何かが座席に落ちた。それは、ハンカチほどの大きさに畳まれ、びっしり書き込みが入った古い東京の地図だった。

このストーリーはフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。

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