空港ターミナルの駐車場は空いていた。茂は車の後ろの座席に置いてあったライラックの花束を取り出し、ドアをゆっくり閉めた。出発ロビーに向かって歩きながら、この目立つ花束を包む方法を考えていた。今朝、自宅の庭に咲いているライラックの花をいくつか切ってきた。洋子が好きなフレンチライラックの白い花だ。この木を植えたのは何年前だったのかと茂は思ったが、思い出せなかった。でも洋子と二人で植えたことは今でも覚えている。あの頃は忙しかったが幸せな日々だった。その洋子が癌で亡くなったのが3年前。苦しい闘病の日々が続く長い時間だった。必死に治してくれる新しい病院を探したこともあった。どうしてもっと早くに気が付かなかったのかと、この春まで悩み考え続けてきた。「いらっしゃいませ、空港限定もありますが…」土産品店の店員が、立ち止まっていた茂に声をかけてきた。とりあえず何か買って、花束を手提げの紙袋か何かに入れようかと考えた。初老の男が剥き出しの花束を持っていては、目立ってしょうがない。茂は飲み物を買って、大きめの手提げの紙袋に花束を入れてもらい、関空行きの予約便のゲートへとまた歩き出した。洋子の遺骨は、本人の希望で生まれ育った京都の実家の墓にも分骨していた。洋子が育てた庭の花を、せめてその墓へも供えようと決めていた。搭乗が始まり、機内へ入る時、手に持っていた紙袋が入り口の金具に引っかかってバリッと紙袋が大きく裂け、白いライラックの花が機内の床に散らばった。出迎えていたキャビンアテンダントが素早く「これで、全部だと思います。どうぞお気をつけて」と拾ってくれた。裸になった花束を抱えて、茂は急いで席に座った。ライラックから懐かしい香りがした。少ししてアテンダントが「お花、こちらでお預かりして、簡単ですが包んでおきましょうか?」と声をかけてくれた。上の棚にもそのまま乗せられず、困っていたところで、助かった。「お願いします」。「承知しました」と花を受け取ったアテンダントはギャレーの中へ素早く消えた。洋子が亡くなってから飛行機に乗るのは初めてだった。快晴の空へ機体は飛び立ち、あっという間に津軽海峡を越える。男鹿半島から新潟、富山へと日本海岸を飛んでゆく。眼下に海岸線がきれいに見えた。以前は二人でよく旅をしていた。洋子はいつも窓の外の景色を見るのが好きだったと茂は思い出していた。「あれ、なに山かしら」「もしかして富士山かな」。茂は「まさか!新潟から富士山は見えないよ」と応えていたが、そんなとき洋子は返事をせず、機内誌に載っている日本地図を見ながら、また「あの光っている川、糸魚川?」と質問だけを繰り返していた。茂はよく調べたり考えたりせずに、適当に答えていた自分のことを思い出していた。すっきりと晴れた6月の空は、遠くの山々も見通せた。かすか遠くに見慣れた山容が見えた。「まさか…」。そのときアテンダントが「こんな包装で良かったでしょうか?」と、少し花が見えるくらいにラッピングされたライラックの花束を持ってきた。そして真剣に窓の外を見ていた茂に「今日はほんとうによく晴れて、珍しく富士山も見えてますね」と続けた。遠くに見える小さな富士は、ライラックの色と同じようにまだ白い雪を乗せていた。
このストーリーはフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。
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